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沿革HISTORY

沿革

時代とともに歩んだ技術~内外ゴムの歴史
時代の変遷の中で、内外ゴムは産業界へ、一般家庭へと、その話題の場を広げてきました。
そして、内外ゴムの名を高めたものは、何よりも進取の企業姿勢と技術の確かさでした。
1913年
(大正2年)

岡崎忠雄(元神戸銀行頭取)など、神戸財界の有力者によって設立

主要製品の人力車、及び自転車用タイヤは、たちまち国内市場を独占する

1920年
(大正9年)

 

陸軍省指定工場となり、航空機用ゴム管を生産
1923年
(大正12年)

 

鉄筋3階建の工場建設、輸入機械設備を増設

自動車タイヤチューブの生産を開始

1926年
(大正15年)
海軍省指定工場となり、船舶用ゴム製品を納入する
1943年
(昭和18年)

 

内外ゴム株式会社設立

軍需省管理工場に指定され、明石工場を増設。航空機用タイヤなどを増産

1946年
(昭和21年)

 

商工省指定事業場。兵庫県重要工場の指定をうけ、民需品の生産に転換
1947年
(昭和22年)

 

野球ボール、もみすり機用ゴムロールの製造に着手
1949年
(昭和24年)

 

準硬式ボール(トップボール)を発明開発
1950年
(昭和25年)

 

ゴム製ソフトボールを開発

高松宮殿下が明石工場のトップボール製造を視察

1951年
(昭和26年)

 

特許「独立気泡スポンジゴムの製造法」を発明し、スポンジゴム製品の革命をもたらす
1953年
(昭和28年)

 

合成ゴムによる漁網用浮子を開発
1954年
(昭和29年)

 

レイ・パスティン氏(米)のデザインによる、ビーチウオーク・サンダルを試作。 ビーチサンダル輸出ブームのきっかけとなる
1972年
(昭和47年)
住友ゴム工業(株)と業務提携し、自動車タイヤ用チューブ工場を新設。生産の拡大をはかる
1979年
(昭和54年)
新素材EVAを使った漁網用浮子を開発
1980年
(昭和55年)
フロート製造ラインの近代化を推進
1981年
(昭和56年)
都市ガス、プロパンガス計量膜の生産工程自動化ライン完成。
チューブバルブ貼りの無人化に成功
1982年
(昭和57年)

チューブ無人運搬車導入、ロータリー検査システム完成

ソフトボールの工程て自動化ラインを完成

1983年
(昭和58年)
創立70周年を機に、企業イメージ・ブランドイメージの重要性を認識し、 C.I.S(コーポレート・アイデンティティ・システム)、B.I.S(ブランド・アイデンティティ・システム)を導入
1990年
(平成2年)
チューブ出荷センターが竣工し、物流部門の充実をはかる
1993年
(平成5年)
創業80周年記念式典を開催
1999年
(平成11年)
3軸静電容量型加速度センサ(地震感知器)を開発
2001年
(平成13年)
8月、ISO 9001の認証取得
2003年
(平成15年)
5月、ISO 14001の認証取得
2004年
(平成16年)

8月、中国福建省に新会社「南安内外橡胶有限公司」を設立

10月、大和紡績株式会社と提携し合弁会社「ディーエヌプロダクツ株式会社」を設立

12月、東京営業部事務所、港区新橋 新橋新和ビルに移転

2006年
(平成20年)
日本プロ野球選手会と共同で開発したキャッチボール専用「ゆうボール」を発売
2007年
(平成19年)
1月、フィリピンに新会社 「内外ゴムフィリピン株式会社」 NAIGAI GOMU PHILIPPINES CORPORATION を設立
2008年
(平成20年)
4月、センサ事業部 ISO9001の認証取得
2013年
(平成25年)
創業100周年記念誌発刊
記念事業を展開
2014年
(平成26年)
センサ事業部の建屋が竣工
2017年
(平成29年)
次世代軟式野球ボールM号発売
2018年
(平成30年)
次世代軟式野球ボールJ号発売
2019年
(令和元年)
センサ内臓IotボールテクニカルピッチM号発売
2020年
(令和2年)
センサ内臓IotボールテクニカルピッチJ号発売
 
当社のタイヤをはめた人力車
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大正12年ごろの本社
大正12年ごろの本社
漁網用浮子
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チューブ無人運搬車導入
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三宮国際ビル5階に移転
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3軸静電容量型加速度センサ
3軸静電容量型加速度センサ
ISO9001・ISO14001
ISO9001・ISO14001