ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

く、寸法は32cmほどであった。あまり格好いい出来ではなかったが、喜んでもらえた。「ラブクックシューズ」でも、31cmサイズの商品を作ってほしいとの要望があったが、これには困った。つり込みの機械は30cmまでしかないし、形を整えるアルミラストもない。結局、アルミラストをビニールレザーなどを使って改善し、なんとか作り上げることができた。左右で大きさの異なる商品の製作依頼も多かった。「左右で5cmの高低差をつけてほしい」とか、「リハビリシューズの片足だけ8cmベルトを長くしてほしい」とか、中には「片側の足の親指が変形してしまっているので片足の親指部分に穴を開けてほしい」といった声もあった。これらの商品を作るために材料費が2倍かかったとしても、製作に1日かかったとしても、製造部員たちは真摯な姿勢で取り組んだ。そこにあるのは、ユーザーに喜んでいただけることをなによりも優先する、プロの職人魂だった。情報化時代に向けた取り組み事務合理化の一環として、情報処理の機械化を徐々に進めていた。その基盤が確立されたのは、1979(昭和54)年の電算機のレベルアップであった。中堅スタッフが中心となり、販売、物流部門などの各種サブシステムを次々と整備し、その成果は顕著に現れた。その後はファクス、パソコン導入へと進展し、OA化は急速に進んでいった。87(同62)年には、経理部の事務処理の迅速化、効率化を目指して、富士通のコンピューター(K-シリーズ)を導入した。計数資料の入力のため徹夜に近い作業を約1カ月間、経理部員が富士通のスタッフと協力して立ち上げた熱意と努力は相当なものであった。90(平成2)年には情報室を新設した。20代の職員を採用し、全社統合OA化を推進、社内LANの設置、情報・社内資料の共有化を進め、社内情報システムを順次整備していった。ナイガイサービスを設立1989(平成元)年、当社の子会社として「株式会社ナイガイサービス」を設立した。代表権を持つ社長には実務に長けた今西が、会長には茨木晴雄が就任した。設立の主眼は、物流コストの低減であり、当社の発送課16人が異動した。当社で製造した全ての商品と、履物を主体とする輸入商品の保管と出荷全般を担い、地域ごとに輸送業者を選別、輸送日数、適正運賃などをきめ細かく管理した。また、浮子やボール、履物、E-Pジョイントなどの包装、梱包、マーキングを含めた輸出の取りまとめも行った。担当課員は苦労しながら英語での指示書作成に当たった。特に大掛かりだったのは、IJPC(イランと日本合同の石油化学プラント建設プロジェクト)へのE-Pジョイントの輸出案件1979(昭和54)年頃の電算室自動車タイヤ用チューブの出荷センター96