ブックタイトルNaigaiNenshi

ページ
88/204

このページは NaigaiNenshi の電子ブックに掲載されている88ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

NaigaiNenshi

多駅南に開設し、神戸から赴任した従業員2人に、現地採用の女子従業員を加えた3人体制でスタート。九州・沖縄の8県を活動エリアとし、工業用品(浮子・マット)、スポーツ用品全般、履物全般で年間販売目標3億円を掲げた。当時の野球・ソフトボール市場はチーム数、大会数共に右肩上がりで福岡、熊本、鹿児島、沖縄を中心に販売シェアを伸ばした。82(同57)年以降は4人体制となり、85(同60)年からの10年間には材質革命ともいわれたエフロートが完成し、五島列島(長崎)や牛深(熊本)、長島(鹿児島)等のまき網船団基地への販売につなげることができた。スポーツ用品やマット、履物なども好調で、履物では特に学校用の上履きやワークシューズの売り上げが目立った。この頃、本社、東京、神戸、福岡をオンラインで結ぶとともに、業務課による営業業務のコンピューター化などにより、営業部も情報処理の近代化が進んだ。この頃、工業用品の増販とボールの市場拡大が2大テーマだった。さらに海外市場への挑戦を課題としている。名古屋営業所の開設中部地区の販売の拡充を図るため、創業50周年の1963(昭和38)年に名古屋営業所を開設。東海4県(愛知、静岡、岐阜、三重)と北陸3県(石川、富山、福井)をエリアに営業活動を始めた。売り上げは順調に推移していたものの、履物の価格競争の激化に伴い右肩下がりに。新幹線が岡山まで延長され、神戸から出張できると判断したことから、70(同45)年に閉鎖した。名古屋営業所の再開は、スポーツ用品の売り上げが好調に伸展していた85(同60)年。東海地区への拡販を目指して国鉄名古屋駅前の富士ビルに開設した。90(平成2)年頃からはスポーツ業界にも量販店が出店し始め、当社も住友ゴム工業(現ダンロップスポーツ株式会社)の助言を受け、アルペンと取引を開始した。フットウェアでも94(同6)年頃から5年間ほどビーチサンダルの販売で年間約2,000万円の取引があり、現在はブランド商品に取って代わったが大いに貢献した時期があった。93(同5)年には南へ1kmほどの文栄ビルへ移転。この頃、愛知県内の少年野球大会で最大規模の佐川急便杯少年野球大会(当時は約200チームが参加)に当社の野球ボールC号が採用され、スポーツデポ杯少年野球大会と名称を変えた現在も使われ続けている。同大会は2010(同22)年にAリーグ298チーム、Bリーグ199チームの合計497チームを集めるなど、全国でも指折りの大会に発展している。工業用品においては、65期(1999年)にダイヤフラム等が好調で神戸営業部の売り上げを上回る健闘を86昼休みにバレーボールを楽しむ従業員たち〈1980(昭和55)年頃〉QC活動の発表会〈1980(昭和55)年頃〉