ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

HSRによる硬質スポンジを開発し、漁網用浮子の生産を始めた。その後、各社で発泡スチロールやABS中空体等の新しいポリマーの浮子が開発された。60(同35)年頃は、北洋へ繰り出す鮭鱒船団からの大量受注により、1次加硫、2次加硫を経てロープ固定穴を開けた製品を作っていた。2次加硫の現場はまるで戦場で、多数の2次型をコロコンの上に積み上げ、次々と金型を開けてヘラのようなコテで製品を取り出して青い籠に入れ、空いたキャビティに1次加硫品を仕込み、金型をふたして何面もの型をハンドプレスに並べていった。さらに山積みの2次型から製品を取り出し、1次加硫品を仕込んでプレスに挟むという作業の繰り返しだった。81(同56)年頃、浮子の2次加硫工程改善が始まった。当時主力だった#3、#303の2種類の平アバを目標にした。1m角ぐらいの熱盤に十数個のキャビティを有する金型を2、3面取り付け、3段プレスでの2次加硫であった。冷熱はタイマーセットで、加硫終了時プレスが開くと同時に上下型の両端に一工夫して製品が取り出せるといった構造で、ロープ穴の付いた海苔アバでも同様の考えで利用することもできた。こうして加硫・冷却時間を自動化することによってスキルの差による生産性の差はなくなり、女性も作業が可能になった。70(同45)年頃からEVAの発泡について検討し、一部浅海用浮子として量試も行った。当時はインジェクションとか専用プレスとかいう考え方はなく、配合⇒混練(高温ロール)⇒貯蔵⇒ウォーミング(高温ロールで時間がかかる)⇒押し出し⇒カッティング⇒冷却⇒秤量⇒加硫という工程だった。こうした中、78(同53)年、住友化学工業からEVA架橋発泡成型技術導入の話が持ち込まれた。EVA発泡体は金型から飛び出す際、キャビティと製品の間が真空になり、一気に飛び出さず、型から引きはがすといった感じで製品に型の跡が残り2等品になりやすい。加硫後製品の飛び出しを良くするための金型構造を示したものだった。75(同50)年頃、ボールやフロートなどの工程改善を進めてきた社員が改善プロジェクトを組み、複雑な工程の改善を進めた。各担当はそれぞれ週単位で懸案事項をテストし、それを持ち寄り次のステップへといった具合で歯車が回り始めた。薬品の分散不良によりアバタ面の製品になってしまったり、プレスごとに必要数の「種」(インジェクションで射ったキャビティ分の成型品)を分配する機械の不調が生じたり、さらには予期せぬキャビティごとの容積の違いが生じたりということもあったが、一つまき網・定置網用浮子の成型。ロープ穴のキャップが確認できる(右手前)78