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概要

NaigaiNenshi

ると、加硫までの貯蔵中にゴムと芯の間の空気が冷えて表皮ゴムにまるでニキビ痕のような小さな穴が開いた。これが外観不良の因となり、同期化は断念することとなった。しかし、これで糸とゴムの接着は強固なものとなり接着の問題は解消した。●ソフトボール加硫工程改善ソフトボールの加硫ラインは人海戦術の工程で、エアドライバーの音が鳴り響いていた。そこでソフトボールも中空ボールと同じくプレス加硫化ができないか、さらに中空プレスの隣にソフトプレスラインをつくってボール製造ラインを集約化できないかという構想が持ち上がった。初めに小さな油圧ハンドプレスで加硫金型4面を使用して加硫テストを行ったところ、簡単にきれいな製品ができた。これをスケールアップして1段に5×5面・2段の自動油圧プレスでのテストを始めた。硬い芯のボールを型に詰める金型締め具金型開法などを検討し、中空加硫プレスの横に大型プレスを設置していった。試運転に入り、成型ボールを型に詰め金型締め具で固定⇒搬送工程で上下型のズレによる金型の乗り上げ・締め具はずれ⇒各金型を整列再固定してプレスへ搬送⇒プレス締め(この時、上下型の勘合不具合での金型破損)⇒ボール取り出し機構の馬力不足⇒さらには製品不良多発と散々な結果となり、ソフトプレス加硫化は断念した。このプレスは現在、中空ボールプレス加硫の2号機として働いている。それから2、3年後、住友ゴム工業の指導の下で工程改善に取り組んできた当社スタッフだけで再度、加硫ラインの改善を目指した。基本的には当時の型詰め、加硫台車で加硫⇒型バラシ⇒製品取り出し⇒型詰めという工程を踏襲し、ボールの型詰め、加硫台車の缶への出し入れを人がして、その他の仕事は機械がするというものだ。これらは設備スタッフと設備設計会社との間で進め、実験は生産技術が行った。まず、プレス加硫化で失敗した型締めの試験に取り組んだ。3面ぐらいの型を枠に入れ金型の合い線を合わせながらエアドライバーで型を締め込んでいく工程の改善で、枠にもっと金型を詰め込めないか試験したところ、予想外にうまくいった。枠は加硫台車に収まる長さとし、3列、5列と枠の列も順次増やしていった。製品取り出しは、従来のテコの原理を利用した製品取り出し機の動きを回転式扁芯ローラーにより自動で行うようにした。大きなプラットホームのような設備に各部品を取り付け、小さなセンサー類を設置したことで、ソフトボール加硫ラインに血が流れ始めた。最初は手動で各工程が正常に作動するか確認し、いよいよ試運転に移った。1工程済むごとに機械を停止させ、その度にセンサー位置を調整、人の目で確かめながら工程を進めていった。時々起こる工程中での金型のカミ等、安全対策を行いながら加硫ラインの完成にこぎ着けた。懸案の型締め型はずし工程でのエアドライバーは機械がするようになり、コンベヤーの周りで多くの従業員が仕事をしていた職場が、成型ボールの仕込みをする者と前後の段取りをする者の2人だけとなった。加硫場の隣に再度移転したソフトボール成型ライン、成型品ストックヤードからのコンソリおよびバケットコンベヤーからの成型品搬送、そして完成したソフトボール加硫ラインがドッキングしたのは1981(昭和56)年のことだ。●ソフトボール芯内作化主力製品の部品は社内で作るべきだという基本方針の下、ソフトボール芯内作化プロジェクトが1984(昭和59)年から85(同60)年にかけて発足した。従来はコルク粒のバインダーとしてエマルジョン系の接着剤が使用されており、十分な製品強度を持った変形しないソフトボール芯であったがさらなる改良に着手した。当時、外注工場では電気プレスで芯を加硫(架橋)していた。温度管理は熱電対で設定した温度で管理していたが表示温度と実際の温度に差が生じ、よく温度確認と熱電対の取り換えに行ってい76