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概要

NaigaiNenshi

基礎技術があったからこそ、プロジェクトが立ち上がった。生産ラインは、練り⇒リターンゴムと新練ブレンド⇒リボン出し⇒押し出し⇒裁断⇒成型(この時の成型品を抜いた残りがリターンゴムとなる)⇒加硫となっており、熱履歴を受けたゴムをブレンドしていくためよく焼けゴムが発生した。焼けたゴムを取り出して燃やしてみたところ、サラサラになった灰から、天然ゴムではなく合成ゴムであることが分かった。工程を調べ直すと、ロールの皿の上に小さなコヨリ状のゴムのくずが見つか硫、製品取り出しは全て機械がやるという当時の当社では夢のような装置が完成した。操作盤には多くのランプやボタン、スイッチが並び、まるで手塚漫画に出てくるようなものだった。しかし隅々にまで神経が行き届かなければただの鉄の塊である。金型搬送エリアでの金型の乗り上げ、移動中の次工程の作動、冷却バルブの作動不良、製品取り出しラインでの金型の詰まりや落下など、数え切れないほどのトラブルを生産技術、工務をはじめとする多くの目で見つけながらつぶしていき、工程の安定化に努めた。り、これが混ざり込んでいたことが判明した。以後ロールの皿の清掃を励行することになる。こうして下貼り機械成型の工程は改善したが、上貼りは依然として手貼りのままであった。当時は熟練した女性がパレットコンベヤーの横に並び、上貼りゴムを張り合わせていた。作業環境は依然として暑く、また練ゴムの粘度管理もまだまだ困難な仕事が残されていた。●軟式野球ボール(中空ボール)上貼り機械成型中空ボール成型場の作業環境は暑く、しかもスキルを要する工程であった。下貼り成型工程の改善から10年以上経った1988(昭和63)年、上貼りの機械成型化に取り組んだ。基本的な考え方は内殻成型と同じで、お椀型を成型しこれに内殻を入れ上下にお椀型のふたをする手法であったが、2層構造の界面にエアが入らないか、内殻を外皮が●軟式野球ボール(中空ボール)加硫1978(昭和53)年、中空ボールプレスの加硫化が始まった。従来の加硫は缶加硫だった。加硫済み台車⇒枠締め型ユニット⇒コンベヤーに整列⇒枠はずし⇒型開け⇒製品取り出し⇒成型品仕込み⇒型締め⇒枠締め⇒加硫台車⇒缶にて加硫⇒加硫済み台車、という工程を経る。枠の開閉に用いるエアドライバーによる腱鞘炎、これから発する騒音、ドライバーの修理、型開け治具の動き、製品取かみ込まないか、外皮のジョイントの切れ具合はどうかなどについて実打試験で確認の上、改善を進めていった。この頃になると工程改善チームも当社の従業員だけでこなせるように成長していた。このようにして一連の中空ボールの成型・加硫ラインが完成した。NHK教育テレビの「働くおじさん」で取り上げられたこともあり、工場見学者にも必ず見ていただける自慢のラインとなった。り出し時のテコの動きについては、機械化すればなくなる問題か、機械化するにはどんな動きが必要かを見極める必要があった。治具の動きの一つ一つを観察し、それを人の手でイメージしながら動かして検証した。やがて構想がまとまり機械設計、レイアウトの作製、適正加硫条件の設定と各部署とも連携しながらプロジェクトは進行した。基本的には、人の作業は金型に成型ボールを仕込2ソフトボール製造ラインの近代化(1979年~82年5月)成型ラインの同期化、また糸巻き芯体の接着剤処理ラインが完成した。その後、型締め加硫はずしの自動化ラインが中空ボールラインに引き続き完成し、シート出しから包装までの全工程の近代化、省力化を果たした。み、金型を締めてこれを搬送すること。以後の加74