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概要

NaigaiNenshi

72このラブクックで培った技術を応用したウォーキングシューズが、1980(昭和55)年に生産を開始した「パピロンシューズ」だ。高齢女性向けと男性用の特殊焼底のシューズで、婦人用は湿式合皮を、紳士用は本皮を使用し、中底については女性用にはパームを使って極力軽く設計し、男性用は鉄シャンクを使った本格的なシューズとした。底は黒の加硫底だったが、接地面は適度の軟質吸盤意匠、中底面は外側よりもっと柔らかくするという二層構造により滑り止め効果を発揮。軽くて滑らず、歩行が楽で疲れが少ないと好評を博した。発売翌年には約6万足を販売し、その後も毎年5万足を売り上げたが、10年後には5,000足程度まで落ち込む。しかし、同デザインで10年以上続くという、想像もしなかったシリーズとなった。スポンジ製造技術の変遷スポンジとはゴム用語辞典によると「もともとは連続気泡構造を有する発泡体として定義されていたが、いまではゴム配合物から作られる独立気泡構造の膨張ゴムやラテックスから作るフォームラバーを含む発泡体の総称」とある。当社は1951(昭和26)年に特許「特殊スポンジラブクックで培った技術をウォーキングシューズに応用した「パピロンシューズ」女性用のポスターゴムの製造方法」を取得し、履物類の生産を始めた。当時のスポンジは水を吸いやすく、ブヨブヨの材料だったが、その後、履物材料板として軟質・硬質を含めて一世を風靡した。また、天然ラテックスを用いてフォームラバーなども生産した。70(同45)年頃は履物材料としてのスポンジ板も社内で生産し、漉き加工をしていた。また、ウエットスーツの生地(クロロプレン製軟質スポンジ)の生産も始まった。ここでの問題は、スポンジとナイロンジャージの接着だった。糊の粘度や固着量等いろいろ管理をしながら圧着ドラムに接着生地を通し、生地が完成した。それぞれ最低限の設備を導入して生産に入っていたため、必要以上の職人技を要した。人のスキルに頼った生産であった。また75(同50)年頃、履物でコルク入りEVAスポンジが流行し、当社でも東洋曹達工業株式会社(現東ソー株式会社)と組んでコルク入りEVAスポンジに参入した。当時コルク入りEVAスポンジはエア入り不良が多発していた。乾燥したコルクを混練し、これを1mm前後に薄くシート状に山出しし、これを秤量して加硫していた(現在もEVAスポンジ加硫は薄いシートを重ねて加硫している)。この乾燥工程に手間がかかる上、それでもなおエア入り不良が発生した。しかし、当社のEVAスポンジはこのような乾燥工程なしでできた。当初は外注練でシート出しまでを依頼し、社内で加硫していた。練り、シート出しを社内に持ち「パピロンシューズ」男性用込みライン化したが、仕上げで1mmのシート出しはできないし、分厚い切り出しコンパウンドを重ね置きして焼けてしまうし、せっかくのEVAスポンジも大きなボイド入りの不良品となりクレームの山となった。その後、EVAスポンジでは難燃性スポンジを開発し商社へ持ち込んだりしたが、興味を示されたもののそれ以上進むことはなかっ