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概要

NaigaiNenshi

第3章:雌伏の時代[1964-1982]3きなくなった。他のメーカーも同様で1カ月分の接着剤も供給を受けることが難しくなり、横浜ゴムまで購入に出向いた。しかし満足のいく接着剤を得られず途方に暮れていた。そんな折、大阪の接着剤メーカーから「キロ数を限定すれば出荷してもよい」という1本の電話が入った。早速サンプルを取り寄せテストをしてみると結果は良好であったため、購入することになり、危機を脱出できた。翌年になると従来のメーカーも元通り順調に製造できるようになったが、大阪の接着剤メーカーの品質が良かったので一部の製品に限り20年ほど使い続けた。74(同49)年5月期決算では7期ぶりに復配を果たした。しかし、オイルショックは業界に大きな影響を及ぼし、75(同50)年には業界内で倒産する企業も増えていった。73(同48)年に667人だった当社の従業員数も、78(同53)年には517人まで減少、この間、筋肉質の企業体質づくりが進められた。厨房用シューズの生産を開始1976(昭和51)年、日本初の厨房用シューズ「ラブクック」の生産を開始した。基本仕様は1甲被には耐油性のビニールを使用すること2一日中立ち作業のため足入れはゆったりタイプであること3床面に水・油が存在するため滑りにくくすること4中底には耐水性の芯を使用すること5軽いこと6靴紐は使用しないこと7底材は軽くて耐油性であること、と定めた。耐油性のビニールはビニールメーカーに頼み、数回の物性テストを繰り返した結果、満足できるビニールを作ることができた。試作過程で問題になったのは、底材と接地面の意匠であった。底材は耐油性を備えた軽量のEVAスポンジに決定した。しかし、底は滑りにくく疲れにくいという条件を満たさなければならず、この2つの条件を並行して試作底を作製していった。硬度の組み合わせ比、発泡度による滑り具合など数十種類を試作し、その結果、底は硬さの異なる2層底に、意匠はタコの吸盤意匠に決定した。次の問題は接着である。油分を多く含む耐油性ビニールのせいか、接着が難しかった。また、湯、洗剤、油等のある条件下で使用しているため接着離れが発生した。塩素系のプライマー等なら問題なく接着できたが、人体に影響が出るため、従業員の安全を優先し使用することを禁止。接着離れの原因の検討に入り、接着力の改善に取り組んだ。シューズには歩きやすくするために木型のソリが付いており、そのソリのあるつり込み済みアッパーに平らな底を貼るため反発が起きる。それが接着離れの原因と判断した。そこでニトリゴムによる中間ピース中底を採用し、アッパーとの接着面は木型のソリに合わせ、ソールとの接着面を平らにした。試作段階では中間ピース中底を使用することにより接着クレームが激減した。このように改善を積み重ね、76(同51)年に生産を開始し、量産へのオンライン化を決定した。ラブクックはオーシン商事株式会社の提案を当社の第一製造部長、長谷川兵衛が実用化したものだ。素材選定には数社の材料商社や材料メーカーが協力してくれた。株式会社フクセンやイチイ有限会社、株式会社小崎商店にはテスト段階から材料決定まで並々ならぬ協力をしてもらった。発売当初は年間数千足だったが、専属販売代理店をオーシン商事に決めて量産化を進め、77(同52)年には年間1万足を超え、88(同63)年には年間14万足に拡大した。厨房用シューズとブーツを合わせ90(平成2)~91(同3)年には年間19万足の売り上げを記録した。滑りにくい、疲れにくい、床が水浸しになっても冷えにくいなどユーザーに満足していただける商品であった。こうした厨房用シューズに加え、野球・ソフトボール関連製品の伸びに支えられ、この頃の業績はやや復調の兆しを見せた。しかし、厨房用シューズやブーツに関しては、やがて他社も目を付け競争が激化、また、中国製も市場に参入して当社の販売量は衰退していく。71