ブックタイトルNaigaiNenshi

ページ
72/204

このページは NaigaiNenshi の電子ブックに掲載されている72ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

NaigaiNenshi

制の確立など各種の経営合理化を実施した結果、73(同48)年期の後半からは順調な業績の進展を見せ、販売、生産、収益において計画目標を達成することができた。この期の売上高は57億円と、前年の30億円から大きく増え、利益面においても財務の健全化(税引き後純利益8,570万円)を示すことができた。74(同49)年も金融、財政両面における総需要抑制策が堅持され、低成長の不況下でも、自動車タイヤ用チューブ、運動用品の伸長に支えられ売上高は61億円となった。翌年も売上高は伸長し65億円となり、80(同55)年には経済環境が厳しい状況にもかかわらず自動車タイヤ用チューブの大幅な伸長と履物、配管器材の増販によって売上高91億円となった。その後も自動車タイヤ用チューブは売上高の50%を占め、業績に大きく貢献し現在に至る。現在は、99(平成11)年にオーツタイヤ、2000(同12)年に横浜ゴム、03(同15)年に東洋ゴム、07(同19)年にはブリヂストンから生産を受託したことで、国内で自動車タイヤ用チューブを生産する唯一の会社となった。当社の歴史を振り返る中で、住友ゴム工業との提携は特筆すべき出来事であり、このことを契機に経営基盤は強化され、財務体質も大きく改善できた。創業60周年記念式典創業60周年を迎える1973(昭和48)年7月1日、明石市民会館で創業60周年記念式典を開催した。永年勤続表彰の後、社員のど自慢大会、曲芸、コミック、歌謡ショーなどがあり、社員とその家族が楽しんだ。また、この頃、ボウリングブームに乗ってボウリングボールの製造が繁忙を極めた。最盛期、兵庫県でボールを製造していた業者は、住友ゴム工業、シバタ工業、大和紡績、甲南護謨、左川商会、そして当社の6社であった。第1次オイルショックの影響1973(昭和48)年10月、第4次中東戦争の勃発に伴って産油国が原油の生産削減を宣言し、同時に原油価格の70%引き上げを通告した。さらにアラブ産油国は次々とイスラエル支援国であるアメリカ、オランダに対する石油禁輸措置を発表した。それまでほとんど変動のなかった原油価格は、わずか3カ月ほどで3ドルから11.65ドルへと急騰した。これが第1次オイルショックである。安い石油に依存していた先進諸国の経済は混乱し、特に日本経済は大きな打撃を受けた。特に原材料などを石油由来品に頼るところが多い当社にとって、その影響は深刻であった。接着剤の購入が難しくなったのもその一つである。65(同40)年頃、糊製造現場で、女性従業員がゴム揮で仕上げふき取り用の布を洗っていた際に、化学繊維の下着で生じた静電気が溶剤の蒸気に引火した。全焼に至らず大事にはならなかったが、それ以後、接着剤は自社で製造することなく、メーカーから購入していた。そのメーカーが、トルエンの品薄によって入荷できなくなり、指定の接着剤を購入することがで70