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概要

NaigaiNenshi

第3章雌伏の時代[1964-1982]昭和39年-昭和57年住友ゴム工業との提携で安定成長を維持1965(昭和40)年頃から、景気の波に翻弄され業績の浮沈が目立つようになった。苦境を救ったのは、72(同47)年の住友ゴム工業株式会社との業務提携。自動車タイヤ用チューブ部門を土台に、社業安定の礎が築かれた。履物の生産量がピークに1964(昭和39)年、東海道新幹線開通や東京オリンピック開催などによるオリンピック景気が生じ、日本経済は活況を極めた。当社の履物生産もこの頃、ピークに達していた。中には、時代を映すような商品も開発された。その一つが、「子ども用ニューモード」である。新幹線が開通したのをきっかけに、すでに生産していた子ども用ニューモード(射出塩ビ品)の踵部に、高周波ウエルダーで新幹線をプリントした透明ビニールを融着して販売し、男の子たちの人気をさらった。女の子用にはかわいい少女を履物類は安定した売り上げを誇ったプリントしたものを使用した。なお、この時代の一般および学販用の「ニューモード」は、まだ甲・中底共にソリッドゴムのプレス加硫品であった。塗装の乾燥には一般的に自然乾燥か電気釜(乾燥ボックス)が使用されていたが、当社の塗装依頼工場では備長炭による乾燥設備を使用していた。ワンボックスで備長炭を燃やし、その熱とガスで塗装品を乾燥させる方法で甲・中底を仕上げていた。もちろん火種は塗装乾燥室には入らない設計にされていたものの、塗装現場と乾燥現場の近くで火を燃やすという、今では考えられない極めて危険な方法だった。このため塗装工場の社長が「電気による乾燥ボックスを使用させてほしい」と提案してきた。しかし、電気による乾燥では満足するつやは出なかった。当時、当社と同タイプのサンダルを製造している他メーカーは電気乾燥を導入していたようだが、炭火乾燥と比べると仕上がり品のつやは格段に劣っていた。塗装工場の社長も64