ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

引が始まり、白、黒、赤、空、黄の5色全ての材料を購入した。前緒に関しては当初、細いビニールシートに梨地の布を入れ、巻き合わせにしていたが、はがれるという問題が発生する。ミシンで押さえると足当たりがよくない。頭を抱えた担当者が着目したのが、人がぶら下がってもびくともしない電車のつり革だった。生産している会社を探し当て、見本を手に相談したところ、「できると思います。特許も私のところが持っています」との返答。話はすぐにまとまり、その場でモールドの発注をかけることとなった。夏だけの商品だが、現場中がローマンウォーク一色になった時期もあった。「検査をして包装するまで待ってくれ」と言っても、「検査を省いてもらっても結構」と出来上がり次第、荷台に積んでいくことも。とにかくよく売れ、年間販売数が20万足を超える年が数年続いた。またピラミッドに関しては、一足ずつ“おまけ”として5cmほどの同型の製品を付けた。製造工程も全く同じマスコットの履物である。このようなことをしたのは当社が日本で初めてではないだろうか。60(同35)年には資本金を1億2,000万円に増資し、さらなる設備投資に積極的に取り組んだ。翌年にはバンバリーミキサー工場や工業用品工場、倉庫などを完成させた。履物代理店会「丸菱会」の活動千草スリッパやニューモードなどの履物類の販売増に伴い、今後ますます販売代理店の協力が求められる中、1959(昭和34)年11月、社長の秦野の呼び掛けにより有力代理店数社を三木市の?野ゴルフ倶楽部に招き、懇親会を持ったことが「丸菱会」の始まりとされる。60(同35)年1月に会則が作成され、会の目的として、会員の営業発展と相互親睦を図り当社製品の拡販向上を援助することとして、年会費8,000円と当社からの寄付金をもって年1回開催することが決められた。初代会長には有力代理店であった福岡市の九州ゴム製品株式会社(現株式会社アルシュ)社長、坂田茂助氏を選任、役員会を構成し実施されることになった。60年代後半には80数社の会員を組織。市場での当社製品のニーズの高まりとともに丸菱会での新製品発表会が注目され、また、時の話題を取り上げた講演も好評を得て、主要な一大行事に発展した。75(同50)年2月には丸菱会有志による内外ゴム台湾視察研修旅行を実施。当時はまだ海外進出企業も珍しく、伊藤忠商事株式会社の提携工場など数工場を見学した。また、為替もフロート制に移行5年後で1ドル290円台だったため、台湾元に対する「円」の値打ちを感じた。海外生産の移行先として台湾に注目し始めた頃であり、その後、韓国に移行し、現在では中国が占める状況であるが、この時の研修旅行が低価格な海外製品であふれる現代を予感する原点であったことがうかがえる。毎年のように丸菱会の親睦旅行を実施した。右の写真は第2回の城崎温泉にて58