ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

第2章:戦後の躍進[1945-1963]2界に進出していった。世界中で日本のゴム草履を目にすることは少しも珍しいことではなくなった。アカプルコでも、カンヌでも、ニースでも、日本のゴム草履はヒッピーをはじめ、ヤングの夏の履物として愛されている」本社事務所と倉庫が全焼戦後の荒廃から抜け出した日本経済は1950(昭和25)年の朝鮮特需で大きく潤った。その後も輸出で獲得した外貨を元手にした設備投資による生産の増大と、戦災からの復興でインフラが整備され始めたこと、賃金の上昇による購買力の増大がかみ合って、大きく成長を遂げた。特に54(同29)年12月から57(同32)年6月の景気拡大期は、神武天皇(初代天皇)が即位して以来の好景気だという意味を込めて神武景気と呼ばれた。ゴム業界では自転車タイヤの過剰な生産を受けて56(同31)年、通産省令による自転車タイヤの生産・設備制限の調整が始まった。同年、当社は6,000万円に資本を増強して、設備の更新、改良に取り組み、さらなる攻勢に打って出る構えであった。ところがこうした流れに水を差すような出来事が起こる。56(同31)年の暮れも押し詰まった12月28日、神戸市の本社事務所と製品倉庫から出火し、全焼したのだ。翌年3月19日には追い打ちを掛けるように神戸工場の木造作業場が全焼した。同年10月、鉄筋コンクリート造りの3階建て本社事務所と工場が完成する。新しい建物には水洗トイレが設置されたが、不慣れな者が多く、よく便器を詰まらせたというエピソードが残っている。神武景気は国際収支の悪化により急速に冷え込んだ。政府や日本銀行が国際収支改善のため強力な金融引き締め策を取ったことで、産業界は減収減益、資金不足に陥り、操業短縮により在庫調整を行った。鍋底不況と表現されたが、政府が58(同33)年から3回にわたって実施した公定歩合の引き下げによって、日本経済は同年後半から岩戸景気に移行した。生産ラインの近代化と熟練作業兵庫ゴム工業会の履物技術者約20人は1955(昭和30)年頃、広島の広島護謨工業株式会社、早川ゴム株式会社、福山ゴム工業株式会社の3工場を見1957(昭和32)年に完成した神戸本社事務所と工場55