ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

第2章:戦後の躍進[1945-1963]2で初めてのビーチ履きとして、東京の国立科学博物館の産業技術史資料データベースにも登録されている。元取締役の岩間治三郎は、当時のことを次のように振り返っている。「戦後復興工場に指定され、民需転換に着手できたことは幸いであった。自転車タイヤ、トップボールの生産開始、引き続いて独立気泡スポンジゴムを使ったヒット商品が続々と誕生し、順調に復興軌道に乗った。スポンジゴム製品は生産が受注に追い付かないほどで、業績の向上に寄与した最も価値ある商品でした」また、当時、営業部輸出担当次長だった岡田博はこのような証言をしている。「アメリカへ進出した54(同29)年、大手企業の進出で頭を悩ませていた神戸のゴム工業会では、多くの業者がいろいろと思案を凝らし目先の変わったものを作っては、何とか切り抜けていた。その中にスポンジで作った草履があった。それは水を吸いやすくぶよぶよしたスポンジを材料にしたものであった。底がはがれたり、鼻緒が抜けたり、足袋や靴下が汚れたりで、きわめて悪評だった。内外ゴムが発明した独立気泡スポンジを活用した草履は、腰がしっかりしていて、自由に着色ができ、色あせもしないので最適であった」53(同28)年の創業40周年記念には、得意先約100社を招待して神戸オリエンタルホテルで祝賀会を開き、宝塚で1泊した。ビーチウォークの発案者であり、毎年当社にクリスマスカードを送り感謝の気持ちを伝えてくれていたパスティン氏は、2006(平成18)年に帰らぬ人となった。89歳だった。新聞にも大きく取り上げられる独立気泡スポンジゴム製のサンダルの生産が絶好調だったこの頃、新聞にも当社の話題が多く取り上げられた。1952(昭和27)年1月15日発行の合同ゴム通信には各ゴム工場の初出について「例年による工場の操業は一般的には六日の初出で七日位が仕事始めになっているが、本年度は各工場共自重して二三日遅れているようである、然し三日から工場にロールの騒音を出していた内外ゴム更に注文殺到で四日の日から仕事始めをして(いる)履物工場も数軒あり、スポンヂ草履の大口注文で、てんやわんやの工場もある一面倒れない筈の家庭張工場で一月早々解散をした工場も五軒許りあって一月早々の製造工場に悲喜交々の感を深くせしめている。」と書かれている。翌53(同28)年9月11日付の日用品新聞には「内外ゴムの沿革はスリッパの歴史内外の新スポ神戸オリエンタルホテル前にて創業40周年記念の一枚51