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概要

NaigaiNenshi

第2章:戦後の躍進[1945-1963]2た。そんな時、知人から当社の話を耳にする。「現在は自転車のタイヤ・チューブを製造しているが、最近はボールの生産を始めるなど、技術があって新しいことに貪欲に取り組む会社らしい」と。早速、パスティン氏は神戸に向かった。「ゴムで草履を作りたい」パスティン氏の申し出を受けた生田の頭に、ひらめくものがあった。「苦労して開発した独立気泡スポンジが日の目を見るかもしれない」と考えたのだ。もう一つ、生田の頭をよぎる思いがあった。「アメリカには戦争に負けたが、日本にも高い技術力があることを証明したい」。パスティン氏の熱い話を聞いた後、試作品の依頼を了承した。この時のパスティン氏の喜びようは言葉では表せないほどであったという。この二人の出会いが当社の履物生産の原点となるのである。スポンジ履物の試作品が誕生ソールにはクッション性のある独立気泡スポンジを使用した。しかし、初回の試作品は失敗だった。鼻緒と指が当たって痛いこと、スポンジから魚の臭いがすることが課題として挙がった。当時、独立気泡スポンジは黄色っぽく、アンモニア臭が強かったのだ。その後、発泡剤の検討等により、現在に近い製品を作ることができるようになった。パスティン氏は多くのアメリカ人の足型を調べて、標準の足型を見つけだし、鼻緒のところを彫り込んだ木型を作製した。これを日本、アメリカの両国で確かめたところ、アメリカと日本では好みが違うことがよく分かった。日本人は鼻緒付きの履物に慣れているので、親指と人差し指で挟む鼻緒部分は下駄や草履のようにしっかりとした太いものが当たり前だった。しかし、靴しか履いたことのないアメリカ人に鼻緒付きの履物を履かせるためには、違和感のないものでなければならない。実際に履いてもらうと、アメリカ人は鼻緒が細い方が履きやすいことが分かった。他にも多くの点を改良した。下駄、草履の鼻緒はほぼ直角に立っているが、つま先から甲にかけてフィットするように設計を変更し、長さもアメリカ人に合わせて長く、細くした。ソールはつま先部と踵部に2~3度の傾斜をつけた(テーパーソール)。また、サイズの設定はアメリカンサイズ(LL、LM、LS、ML、MM、MS、SL、SM、SS)に合わせた。こうして何度も試作を繰り返し、1954(昭和29)年、ついに目標通りの試作品が完成した。スポンジ履物の誕生である。「ビーチウォーク」の商標。「Pastene(パスティン)」のネームが入る生田(左)とパスティン氏の出会いはまさに運命的だったパスティン氏が作製した木型。鼻緒が当たる部分の切れ込みが分かる49