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概要

NaigaiNenshi

第2章戦後の躍進[1945-1963]昭和20年-昭和38年独自製品の開発で飛躍を遂げる戦後、民需品の生産に着手した当社は、独立気泡スポンジの発明から生まれたビーチサンダルをはじめ、野球ボールなどの中核商品が育った。技術革新の連続で高度成長期の波に乗り、社業も飛躍的に発展する。トップボールを開発GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の経済政策は、戦前の財閥による資本集中を排斥し、自由競争を促進するため、軍需から民需へ、財閥の解体や独占禁止法の公布、労働組合設立の推奨を行うなど、経済民主化政策を断行した。戦後復興工場に指定され、民需用製品の生産に着手した当社は、独自商品の開発を積極的に進めこうていくことになる。その嚆し矢を放ったのが、1949(昭和24)年に開発した「準硬式ボールB号(トップボール)」とソフトボールである。トップボールは従来の中空のゴムボール(軟式ボール)とは異なる、使用感は硬式ボールに近く、なおかつ手軽に遊べるボールを目指した。開発を担当した生村徳平は「バッティングや守備の進歩が遅いのは軟式を使っているからだ。基本的な野球を学ぶには子どもの時から硬式と同じようなボールを使えば良いと思ったのがきっかけだった」とトップボール誕生の経緯について語っている。芯にスポンジエボナイトを使い、その上に綿の糸を巻き込み、さらに軟質のスポンジゴムと半硬質ゴムを巻くという4重構造で、握った感覚は従来の軟式ボールと同じでありながら、打球感は硬式ボールと同じく変形を来さないように工夫した。試作品ができるたびにスポーツ用品課の嘉藤栄吉がテストをした。嘉藤は33(同8)年の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選「トップボール」明石工場を視察される高松宮殿下(中央)46