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概要

NaigaiNenshi

第1章:創業期[1913-1944]1高まり、人々が預金引き出しに殺到して、多くの銀行が休業・倒産した。これが金融恐慌である。27(昭和2)年3月に勃発した金融恐慌は、4月には神戸に本社を置いていた鈴木商店の破綻によりパニックが頂点に達する。主力融資銀行の台湾銀行が鈴木商店に対する新規貸し出しを中止したためだ。かつて三井物産をもしのぐ日本最大の商社といわれたが、加速する退勢の前になすすべはなかった。鈴木商店の破綻は神戸経済にも大きな影響を及ぼした。休業した第十五銀行と関わりの深かった川崎造船所は営業が困難となり、一時閉鎖状態に陥った。ゴム業界にもパニックの影響は受注の激減となって表れた。夏場を過ぎると受注状況はやや回復の兆しを示すようになったが、製品の価格競争は一段と激しさを加え一難去ってまた一難の格好であった。日本向け生ゴム輸出削減で苦境日本を取り巻く国際情勢にも変化が起きていた。1937(昭和12)年に起きた日華事変を侵略行為と決め付けた欧米諸国は、わが国に対する経済的制裁を打ち出した。英国領マレー政府の日本向け生ゴム輸出削減に始まり、イギリス、アメリカ、オランダなどが相次いで日本向け生ゴムを削減していった。ほとんどの原料を輸入に頼っているゴム工業界は苦境を強いられた。兵庫県ゴム工業品展覧会に出品1930(昭和5)年5月、ゴム業界から兵庫県へ要請していた「兵庫県ゴム工業品展覧会」が開催された。当時、日本最大のゴム工業品生産県であった兵庫県のゴム製品を全国に広く知らしめようと「国産品の愛用と普及」をテーマに企画された。ゴムメーカーからは当社のほか20社が出品し、関連商社もいくつか出展した。その中には、後に当社と取引する坂井商店(現坂井化学工業株式会社)の姿もあった。会場には、湊川公園にあった市勧業館前の2,000坪余りの空き地が使われた。各地、各方面から来賓約2,000人を招待。高橋守雄兵庫県知事らの祝辞の後、当時神戸商工会議所副会頭の職にあった榎並の祝辞もあった。また、神戸市ゴム薬品同業組当社が製造していた自動車用タイヤ・チューブ。タイヤに「NAIGAI」の文字が確認できる盛大に行われた兵庫県ゴム工業品展覧会タイヤの価格表〈1925(大正14)年〉37