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概要

NaigaiNenshi

第1章:創業期[1913-1944]1阪神護謨製造同業組合が設立されている。組合員は神戸側が阪神ゴム、当社、大平ゴムなどで、大阪側からは角一護謨、中外ゴム、八千代護謨などのタイヤメーカーを主力に42社が参加した。目的は電力の共同購入である。当時、電気は各市から供給を受けていたが、中小企業の電力料金は大企業に比べて非常に高かった。そこで、共同で購入することにより費用を抑えようと考え、大阪、神戸の企業に呼び掛けて組合を設立する。榎並は副組合長として名を連ねた。ところが、24(同13)年に大阪側と神戸側に分裂することとなってしまう。この時、榎並は推されて兵庫県護謨製造同業組合の組合長に就任した。組合法の目的には「組合員は共同一致して営業上の弊害を矯正し共の利益を増進する」とあるが、真の狙いは、やはり電力の共同購入による費用抑制であった。組合は数回にわたり神戸市に値下げ要求を行い、電力料金を滞納すれば共同保証をするという神戸ゴム電友会を設立し、値下げの要求を受け入れさせた。このため、ゴム工業を経営するためには組合員になり、神戸ゴム電友会に入会する必要があった。25(同14)年には重要輸出品工業組合法が公布された。これは経営の合理化、製品の改良、粗製濫造の予防、生産能率の向上、共同施設の整備、製品検査の厳格化など事業を積極的に行うのが目的であった。同組合も工業組合をつくるべく検討段階に入り、27(昭和2)年には、わが国初の本格的なゴム工業団体、兵庫護謨工業組合が誕生する。そして翌年には、国庫助成金の交付を受け、神戸市林田区神楽町に兵庫県ゴム試験所を開設。組合員は無償で利用することができた。これが組合の最初の事業であった。なお、この年の兵庫県内のタイヤ工場はダンロップ護謨、当社ほか13社であった。ゴム製品生産金額1位は兵庫県「兵庫県ゴム工業組合十周年誌」には「1919(大正8)年に至るまでの10年間は主としてタイヤ工業勃興の時代というべし」と記されている。当社も順調に人力車と自転車のタイヤ・チューブの生産を増やしていった。「日本ゴム工業史」第1巻に23(同12)年の主要府県別ゴム製品生産金額の資料がある。それによると「兵庫県がほぼ2,000万円で1位を占め、東京府は約1,300万円、大阪府は500万円を生産して、それぞれ第2位、第3位の位置にある。その他100万円以上の生産地は広島、岡山、及び神奈川県のみであって、以上の6府県だけで全国総額の94%を占めていた。工場数においても、これらの6府県で全国ゴム工場数の84.5%を占め、職工数においては同じく91.0%を占めていた。しかもこのうち兵庫県が圧倒的な優位にあった」とある。また、同誌によると、23(同12)年当時、全国のゴム工場約440のうち、100人以上の職工を使用するものは、神戸のダンロップ護謨の993人を筆頭に29工場(商工省・工業調査彙報・大正14年・1925版)であったと書かれている。兵庫県では当社がダンロップ護謨に次ぐ規模で、創業10周年記念行事で神戸港を遊覧常盤花壇の歌舞練場で記念撮影35