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概要

NaigaiNenshi

翌21(同10)年には最新の技術を取り入れるため、19(同8)年に入社した技師長の竹内惣七をアメリカのゴム産業の中心地、アクロンに派遣してゴム技術の調査・研究をさせた。竹内はゴムの機械、製造ライン、技術などを学んだだけでなく、帰国後、自転車用タイヤ・チューブ、オーバーシューズ、長靴の最新式機械設備を輸入して生産の合理化に努めた。自動車タイヤの生産を開始兵庫県のゴム産業は、自転車タイヤ、人力車タイヤ、ゴムベルト、ゴム靴をもって勃興したが、その後も新しいゴム製品が続々と登場した。その筆頭が自動車タイヤで、当時、全国の生産を兵庫県内のゴム会社が独占したといわれる。代表格はやはりダンロップ護謨で、1913(大正2)年に最初の製品を市場に送り出した。といっても、神戸に自動車の台数は20台、全国でも350台に満たなかった頃のことである。その後、関東では17(同6)年設立の横濱護謨製造株式会社が20(同9)年に自動車タイヤの生産を始めた。当社も22(同11)年から自動車タイヤの製造に踏み出す。日本輪業合資会社でも同じ頃に製造を開始したとの記録がある。横濱護謨や当社の自動車タイヤは量的にはわずかではあったが、外国資本によらない国産自動車タイヤとして大きな期待を集めた。公式の統計に自動車タイヤの生産量が初めて計上されるのは23(同12)年で、兵庫県の生産額は230万円(全国比96%)であったが、28(昭和3)年には575万円(同95%)と2倍半の増加を示している。創業10周年記念行事を実施1923(大正12)年、当社は鉄筋3階建ての工場を建設し、輸入機械設備を増設した。工場の鉄筋化はダンロップ護謨にも先んじたという。また、この年は創業10周年に当たり、得意先を約50社招待して記念行事を行った。1日目は、神戸港を遊覧して兵庫の常盤花壇で宴会をし、舞子の萬亀楼で1泊。翌日は京都を見学し柊家にて1泊、大正のよき時代がしのばれる。同年9月に関東大震災が起こり、記録によると関東のゴム工場の約60%が焼失した。このため関西のゴム業界は一時活況を取り戻したものの、経済界の不況で、原料ゴムの騰貴による原料高の製品安といった状況で、人力車タイヤは低迷した。県護謨製造同業組合が誕生1924(大正13)年、兵庫県護謨製造同業組合が設立された。さかのぼること4年前の20(同9)年、1923(大正12)年に完成した新工場34