ブックタイトルNaigaiNenshi

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概要

NaigaiNenshi

1933昭和8年社内の出来事業界の出来事社会の出来事○東京出張所を開設(1945年に閉鎖)10月護謨工聨、動力用ゴムベルトの価格統制・製品検査実施3月日本、国際連盟脱退1934昭和9年1937昭和12年1938昭和13年1941昭和16年1943昭和18年1944昭和19年1945昭和20年1946昭和21年1947昭和22年1948昭和23年1949昭和24年○陸軍被服支廠から防毒面の試作3,000個を受注○大阪陸軍から指示を受け、本格的に防毒面の生産を開始○渋谷ゴム工場を買い取り、松野工場とする○松野工場が被服廠防毒面専用工場に指定される○ゴム産業整備実施方針により、自動車タイヤの機械設備を東洋タイヤ工業㈱(現東洋ゴム工業㈱)に譲渡。航空機関係のタイヤ製造に専念することに※終戦(1945年)までに生産した主な軍需品/航空機タイヤ、戦車キャタピラ、防毒面、大砲緩衝ゴム、魚雷発射管部品、伝声管ホース7月新会社、内外ゴム㈱を設立(資本金100万円)。内外護謨合資会社(資本金50万円)を吸収合併し、資本金150万円となる○軍需省管理工場に指定されたのを機に、明石市魚住町の製紙工場を買収し、明石工場を建設。生産拡大を図る○軍需省航空兵器総局の要請により大日本紡績㈱との共同出資で泉大津に大日本航空機タイヤ㈱(後のオーツタイヤ㈱)を設立する3月神戸大空襲で本社事務所、神戸工場が壊滅○終戦後、御所工場で自転車用タイヤ・チューブの生産を再開○商工省指定事業場、兵庫県重要工場の指定を受け、民需品の生産に転換4月東京出張所を再開○原料ゴムの割り当てを受け、野球ボール(A号)、籾摺り機用ゴムロールの生産を開始○榎並充造初代社長が辞任、秦野平七が2代目に就任○資本金を1,000万円に増資する○トップボールを開発する8月日本護謨製品輸出組合が神戸に設立○ゴム靴が下落、自動車タイヤ乱売で国内市場が混乱する11月生護謨配給統制協議会開設7月日中戦争勃発9月室戸台風で関西地方大被害(死者・行方不明者3,036人、被害総額7億円)○ゴム相場暴落1月軍需工場動員法発動7月神戸大水害発生○米国でナイロンが発明される6月商工省がゴム産業整備実施方針を発表12月太平洋戦争勃発1月ゴム統制会設立9月鳥取県に大地震、死者1,190人イタリア無条件降伏12月第1回学徒出陣3月ゴム資材統制㈱設立5月日本ゴム製品統制㈱設立9月ゴム製品生産調整要綱決定8月ゴム統制会は軍需生産の停止と民需品増産を会員工場へ指令9月GHQ、旧軍保有生ゴム1万6,000トンのうち6,000トンの使用を許可10月日本ゴム工業協会設立12月ゴム統制会が解散し、ゴム統制組合設立○終戦時の生産能力は3万6,096トン。工場の戦災率39%、ゴム消化能力喪失率43%7月サイパン島の日本軍が全滅東条内閣が総辞職し、小磯内閣発足8月広島、長崎に原爆投下終戦10月国際連合発足12月労働組合法公布10月全日本ゴム労働組合協議会結成11月日本国憲法公布2月ゴム統制組合解散5月日本ゴム工業協同組合連合会設立6月全国ゴム産業労働組合連合会発足4月独占禁止法公布5月日本国憲法施行3月全日本ゴム工業会設立5月パレスチナ戦争(第1次中東戦争)勃発12月GHQ、経済安定9原則を発表12月兵庫ゴム工業会設立11月湯川秀樹氏が日本人初のノーベル物理学賞受賞192