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概要

NaigaiNenshi

書類等が散乱していた。神戸市内の交通機関は不通で、出社できなかった。1月18日(水)[明石本社工場]前日に引き続き、従業員の安否や生産状況の確認、要員や原材料の確保などについて協議した。20日までは出社時間をフリーとし遅刻扱いしない、原材料がある限り生産を継続するといったことを決めた。[神戸営業部]依然、出社することが困難なため、明石本社工場に出社できる者はそちらで業務を行うことにした。1月19日(木)[明石本社工場]住友ゴム工業と自動車タイヤ用チューブの生産について打ち合わせを行った。[神戸営業部]21日に出社可能な者だけで事務所の片付けをすることに決めた。1月20日(金)[明石本社工場]全役員、従業員と家族の無事が確認できた。自宅が倒壊した従業員(8人)、救援物資が必要な従業員(3人)に、水や食料などを送り届けた。この日は全体の73%に当たる215人が出社。1月23日(月)[明石本社工場]自動車タイヤ用チューブの生産を完全再開。当面、住友ゴム工業のスタッフに常駐していただくことに。被災した従業員への支援について協議し、自宅の風呂が使えない者には本社工場の浴場を開放、通勤が困難な者には社員寮(西岡寮)が利用できることを決めた。[神戸営業部]明石本社工場を拠点に営業を再開する。明石本社工場の敷地、建物は1943(昭和18)年に当時の製紙工場を買収したもので、69(同44)年に神戸本社工場の売却に伴い、本社機能を移した。もし、神戸に拠点を置いたままだったならば、この震災でどれほどの被害を受けたかは計り知れず、実業活動を継続できたかどうかも分からない。阪神・淡路大震災の教訓を生かし、突発的な災害時における工場設備の点検から再稼働までのマニュアルの作成、消火訓練や避難訓練の徹底、緊急事態連絡網の点検などに継続的に取り組むようになった。マニラ現地工場に生産委託1994(平成6)年2月、ベストラバー社のマニラ現地工場に新品のスポンジ漉き機を送り、斜め漉きの指導を行った。ソール等は漉いて次工程に渡す時、規格通りの厚みや硬度になっているかを検査しなければならない。ソールに関しては規格を10±0.5mmと定めているが、規格から0.1mmでも外れていれば不良としたためトラブルが起きた。なぜならそれを良品として扱うと、「0.1mmがOKなら、もう0.1mmはずれていてもOK」という感覚を持つからである。マニラの人たちは「日本では良品として認められない」と言われて理解に苦しんだようであったが、いったん理解するとうまくいった。他の工程についても慣れたら作業は速く、愚痴を聞くことはあまりなかった。翌95(同7)年、阪神・淡路大震災の発生により、国内の履物外注工場が生産不能に陥り、急きょベスベストラバー社の倉庫102